7月5日(金)→
みなさま
コンバンまー
3日前からテナーを練習し始めてます。そのうちライブでもテナーを使いたいと考えているので。
昨日、3日目にしてやっとマウスピースの咥える深さや角度が分かってきて、まともな音が出せるようになってきました。
やったー、との喜びも束の間…
ネック・コルクが剥がれてしまいました。
修理に出すお金がないので、しばらくテナーは休みます。
これぞまさに「三日坊主」だっ。
(まぁネックコルクだけなら2000円ぐらいで出来ると思うけど…)
今日も変わらず歯が痛いです。
なので、気を紛らすためにYouTubeで左卜全の「老人と子供のポルカ」を見ていました。
左卜全とひまわりキティーズ 【老人と子供のポルカ】
しかしこれを見たら、余計に具合が悪くなってしまいました。
そして、ひまわりキティーズのみなさんはプロだなぁ、と思いました。
今まであやふやのまま過ごしてきましたが、1番がゲバゲバで、2番がジコジコ、3番はストストだったんですね。
もう覚えたので大丈夫です。意味は分からんけどっ。
ところで今日、日本橋の某中古レコード屋の前を通ると、軒先に段ボール箱が置いてありました。
「レコード不用品」という貼り紙がしてあったので、ちょっと物色してみました。
「戦時歌謡名曲全集」という魅力的なレコードを見つけ喜びましたが…
中身が入ってませんでした。(他のはちゃんと中身もありました。)
ぬか喜びでした。
まぁ、どちみちレコードプレーヤーを持っていないので、別にこれで良かったとも言えます。
それから、でんでんタウンの某中古CD屋へ行きました。
ディープ・パープルのセカンド『詩人タリエシンの世界』のワーナーの国内盤を発見!!
オビ付き美品で1100円だったので、モッチロ~ン!喜んで購入
↑この写真についての説明は省略します。
けど今日の記事は、このCDについてではありません。
久々に(20年ぶりぐらい!)このCDを聴いてます。
私の好きなテナー奏者です↓『ジョージ・アダムス・メモリアル - カム・サンデイ』
1993年2月にリリースされた、ジョージ・アダムス(92年11月14日他界、享年52歳)の追悼盤です。ブルーノートの姉妹レーベル、サムシンエルスよりリリースされたアルバムからの編集盤。マウント・フジ・ジャズ・フェスでおなじみの曲「ソング・フロム・ジ・オールド・カントリー」を聴きたくて購入しました。買ってしばらくはよく聴きましたが、その後はずっと段ボール箱の中で眠ってたCDです。テナーを再開するにあたり思い出して、久々に引っぱり出してきました。
80年代半ば以降、すなわちこのサムシンエルス期のジョージ・アダムスといえば賛否両論です。特にチャールズ・ミンガスの頃からの彼を知る人達の間では「商業的」「軟弱」「レーベルの企画に踊らされた」等、批判も多いです。それは本ベスト盤の曲目を見ても一目瞭然。「ベサメ・ムーチョ」「明日に架ける橋」「この素晴らしき世界」…etc。スタンダード、バラードを多く含み、ミンガスやウルマーと活動していた彼に比べれば殆んどムード歌謡です。
しかし私には、アルバート・アイラーの影響を受けたという彼の特色がよく出ているように思います。アイラーは当時のフリー・ジャズの中でも異色でした。たとえフリー・ジャズの人であっても大抵、バップまたはハード・バップの道を通って来ています。オーネットも然り、コルトレーンもまた然りです。ところがアイラーにはそういったジャズの伝統をあまり感じることが出来ず、それよりもゴスペルやスピリチュアル(黒人霊歌)、トラディショナル、フォーク・ソングの影響を強く感じます。
そんなアイラーには、ゴスペルや黒人霊歌、トラッドといった非ジャズな曲ばかりを演奏した『Swing Low Sweet Spiritual』(再発盤のタイトルは『Goin' Home』)というアルバムがあります。そしてジョージ・アダムスのサムシンエルスでのバラード演奏は、まさにアイラーのスピリチュアルの演奏に通じるものを感じるのです。それは美しいメロディーを何の衒いもない歌心で朗々と歌い上げるという、音楽や歌の根本的な楽しみ・喜びといえます。
本アルバムは、やはり「ソング・フロム・ジ・オールド・カントリー」に尽きます。収録曲中、この曲だけがジョージ・アダムス=ドン・ピューレン・カルテットによる演奏です。レーベルもサムシンエルスではなくブルーノートですね。作曲はピアノのドン・ピューレン。今の私のようにジャズを毛嫌いせず貪欲で柔軟だった学生の頃は、夜中にワクワクしながらテレビ放映されたマウント・フジを食い入るように見てました。そしてこの曲はマウント・フジのイメージ曲となったおなじみの曲で、私も大好きな曲でした。いかにも日本人が好むクサい哀愁を帯びた曲です。もちろん良い意味で言っております。
アダムス=ピューレン・カルテットのパーソネルは、ジョージ・アダムス(ts)にチャールズ・ミンガスのグループの頃からの盟友の2人、ドン・ピューレン(pf)とダニー・リッチモンド、そして白人ベーシストのキャメロン・ブラウンの5人です。アダムス=ピューレン・カルテット名義でブルーノートに1枚、それ以前からも何枚かのアルバムをリリースしています。
そしてこのカルテットで、マウント・フジ・ジャズ・フェスには1987年の第2回目から出演。他の出演者を圧倒するハイテンションの素晴らしい演奏を繰り広げました。とりわけ「ソング・フロム・ジ・オールド・カントリー」では、アダムスの時折りフリーキーな咆哮を交えつつも哀愁を湛えたテナーと、ピューレンの必殺技“拳奏法”で日本の聴衆に衝撃を与え、後世に語り継がれるほどの名演となりました。
Mt. FUJI JAZZ FESTIVAL'87 / Song From the Old Country / George Adams(ts)
ピューレンの手に貼られた絆創膏がピアノ・ソロの途中で剥がれてしまっており、拳奏法の激しさを物語っています。
この年の「ソング・フロム・ジ・オールド・カントリー」は、キャメロン・ブラウンのパワフルで野太いベース・ソロもフィーチャーされており、その点でも名演たらしめています。そして何といっても、ミンガスの片腕として長年にわたり彼のグループの屋台骨を支えたことでも有名なダニー・リッチモンドの雄弁なドラミングを拝めたということが最も大きかったのではないでしょうか。
ダニー・リッチモンドはこの翌年の1988年3月15日、52歳の若さで他界しました。
Pullen-Adams Quartet / Song From The Old Country (1988)
リッチモンド亡きあとはルイス・ナッシュを加え、引き続きマウント・フジに出演。
しかし、後を追うかのように、アダムスは1992年、ピューレンも1995年に亡くなりました。
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ジョージ・アダムス=ドン・ピューレン・カルテット 「ソング・フロム・ジ・オールド・カントリー」
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